

四谷学院で岡崎くんの担任となった宇野先生にとって、岡崎くんは「問題児」でもあった。気持ちがゆるみやすい性格で、現役受験時にあまり真剣になれなかった原因も、「たまたま模試で早大A判定を取り、へらへら安心してしまったから」だと本人が認めている。最初のうちは勝手に水曜日を「定休日」と決めるなど、授業をサボりがちな傾向もあった。宇野先生は、最初の面談で厳しく注意し、その後もことあるごとに「調子にのらないよう」手綱を締めた。しかし、厳しいことを言った後はかならず褒めることも忘れなかった。「叱る」ことと「褒める」ことのバランスに何より気を遣った。クラス授業の講師や55段階講師とは立場を異にする担任や受付スタッフによるこまやかな気配りも、四谷学院の指導システムの強みなのである。林田祐太郎くんは、そうした四谷学院のシステムをまるごと活用した生徒の一人だ。林田くんの夢は「高学歴芸人」になることである。現役時はMARCHレベルの大学に挑戦したが、あえなく失敗。1浪目は宅浪だったため遊び過ぎてしまい、ふたたびMARCHを受けて不合格。両親からは「もう受験をやめなさい」とまで言われたが、「生活面から改善して最後の挑戦をしたい」と訴え、四谷学院入学を決めた。最初の面談において、林田くんは担任の宇野先生(岡崎くんの担任と同一人物)に宣言した。「去年は不完全燃焼で終わってしまった。今年はできるところまでやり切りたい」十分な意欲が感じられたので、宇野先生は林田くんのやる気を後押しする指導を行うことにした。お笑い芸人をめざすだけあって、林田くんは明るくひょうきんな人柄で、いつも周囲の笑いの中心となっていた。ときには休み時間中に伸のよい友達と一緒に物真似を見せにくることもあった。しかし根は真面目で自分に厳しい面もあり、リラックスして楽しむ時間と真剣に勉強する時間のバランスがうまくとれていた。1浪時は宅浪だったため楽なほうに流れがちだったが、四谷学院では仲間と一緒に勉強できる分、切り替えやすかったのだろう。クラス授業の講師との関係もよく、テキストをじっくり読み、わからないことは何でも質問に行った。苦手な現代文は入学当初、偏差値50で基礎クラス(B)からスタートしたが、最終的には67まで伸びた。「苦手科目は夏までに基礎を固めることが大事ですね。あとは授業で問題の解き方を身につけて、その後は55段階でひたすら問題を解く。毎日、解く。そうすれば自然と実力がともなってきます。得意な日本史はさらに伸びて、模試で全国2位をとるまでになりました」それでも早大に合格できるとは思っていなかった。受験はしたものの、合格発表を見るつもりもなかった。しかし、「親にちゃんと確認しなさいと言われて」インターネットで調べてみたら、社会科学部に合格していたから驚いた。「マジでP‥俺が早稲田!」四谷学院に報告に行くと、宇野先生や受付のスタッフたちが「おめでとう!立派な高学歴芸人になってね」と祝福してくれた。林田くんは、四谷学院の後輩に向けて、こんなメッセージを残している。「四谷学院で学べることのなかに合格するためのすべてがあります。授業テキスト講師を活用すれば、志望校に合格できます」
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「毎日、通っているだけでメキメキカがついたなんて言うとインチキ広告みたいな感じですが、実際、そう言わざるを得ません。勉強は四谷学院だけ。家では寝食遊のみでした」英語も国語もすべて標準クラスからスタートした新原くんだったが、9月のレベルアップテストでまず英語が選抜クラスに進級。10月には現代文と漢文も選抜クラスに進級。志望どおり早稲田大学文学部に合格した。「予備校が楽しい」なんて、最初は信じられなかった...でも四谷学院での生活はほんとうに楽しかったこの章の最後に、大久保壮太郎くんの体験記をご紹介しておこう。「四谷学院での生活は楽しかった」という友人の言葉に反発を感じながら、半信半疑で通い始めたという生徒である。大久保くんは東京都内の私立進学校の出身だが、高校時代はほとんど勉強しなかった。「成績はほとんどビリのほう。試験が終わるたびに親が学校に呼ばれて三者面談をしていました。それくらい親を泣かせておきながら、志望校は一貫して早稲田大学。現役で受かるのに越したことはないけれど、まあ……浪人するだろうと覚悟していましたね」浪人が決まったとき、大久保くんが選んだのは、高校時代から通っていた大手予備校だった。特待生として無料の年間パスをもらえたので、両親にも勧められた。しかし1年後にふたたび挑戦した早大はまたもや不合格。そればかりか明治、立教、中央、青山学院も軒並み落ちてしまった。「ツメが甘かったんだと思います。なんとなく勉強して、なんとなくわかったような気になっていたようだ。